今日で使われているコンピュータは全て「ノイマン型コンピュータ」である。それまでの機械は、例えば時計のように、目的に応じてハードが設計されていた。ノイマンは、現代のコンピュータの根本となる「入力→中央処理装置(CPU)→出力」というノイマン型アーキテクチャーを設計した。ハードとソフトを分けることで、同じハードを使いながらソフトを交換すれば多目的に対応できる、という「プログラム内蔵方式」の概念を史上はじめて定式化した。僕らがスマホを使ってYouTubeを見ながら友達とLINEができるのも、WordPressを活用して自分の読書ノートを世界中に公開できるのもノイマンのおかげである。
この他にもノイマンは53年の人生の間に、論理学、数学、物理学、化学、計算機科学、情報工学、生物学、気象学、経済学、心理学、社会学、政治学に関する150の論文を発表した。
ノイマンは20世紀を代表する天才の中でもひときわ目立つが、ノイマンがコンピュータの開発を進めた理由は、弾道計算を高速にするため、という軍事目的だった。他にも原子爆弾の開発を進めるチームの中心的指導者としても活動していた。そのためノイマンは、「コンピュータの父」と呼ばれる一方で、「人間のフリをした悪魔」という呼ばれ方もされている。
「フォン・ノイマンの哲学 人間のフリをした悪魔 (講談社現代新書)」は、ノイマンが世界をどのように認識し、どのような価値を重視し、いかなる道徳基準に従っていたがについて、ノイマンと関係の深かった人物に触れながら、ノイマンの生涯と思想を振り返り、ノイマンの哲学に迫っている。
ノイマンの第二次大戦への影響
第二次大戦中、ノイマンの戦略でドイツ海軍の機雷を除去できなければ、イギリスは海上から物資を補給できなかったかもしれない。また、彼が導いた「爆縮理論」がなければ、アメリカの原子爆弾完成はずっと遅れていたはずである。つまり、もしノイマンがいなければ、第二次大戦の結末には大きな変化があったに違いない。
彼の故郷であるブダペストが、第二次大戦中にナチス・ドイツに、戦後はソ連に蹂躙された。ノイマンは、ヨーロッパの瓦礫の中から自分を救出してくれたアメリカを「理想国家」とみなし、アメリカ人よりもアメリカ人になろうとした。市民権を取得すると同時に士官採用試験を受けて、アメリカ合衆国に命を捧げる軍人になろうとし、原子爆弾の研究に没頭した。原爆はとてつもない破壊力を持っていたため、原爆に反対する科学者も多くいたが、ノイマンは、自己の理想に邁進するためには、いかなる犠牲もやむを得ないとした。それこそがノイマンが「人間のフリをした悪魔」と呼ばれるゆえんである。