宦官は去勢された男で、女性たちの中に身を置いていたものの、完全な女にもなれなかった。宦官たちは後宮で生活しながら陵辱の限りを受け、喜怒哀楽で殺された。帰るべき家もなく、みじめで孤独な余生を送るしかなかった。死んでも家族の墓地には葬られない。
宦官の容姿・容貌は、灰色の長い上着と、短い上っぱりを着て、黒字のズボンを履く、という地味な一色の服装だった。歩く時は前かがみなり、小股でちょこちょこと歩く。さらに去勢の影響により長い間寝台を濡らす。我慢できないほどの嫌な臭いを「老公(宦官)のように生臭い」という言葉もある。若い時に去勢した宦官は太ってくるが、締りがなく力もない。年をとるにしたがい肉が落ち、急激にたくさんのシワがよってくる。40才でも60才に見えるくらい老ける。
宦官の99%以上は全ての人に蔑まれ、みじめな生涯を終える。異常な心理状態となり病的な行動を取ることもあった。宦官は普通の奴隷ではなく、場所は宮廷の奥深くにいたが、かえって宮廷の帷を突き抜け、朝廷にしゃしゃり出てきては歴史的悲劇を演じた。しかし時には徹底的に打ちのめされ、悲惨な結末を迎えることもあった。
三田村泰助の宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)は、そんな宦官が何かということと、宦官に結びついた諸要素を説明し、次に宦官の最も活躍した漢・唐・明の時代を取り上げ、それぞれの時代背景にした特色を指摘している。
宦官が専横をきわめた一つの要素に、彼らが君主の私生活にまで深くくいこんでいたことをあげることができる。
「終章2 現代における宦官的存在」より
宦官が権力者になる場合、皇帝の宦官に対する異常な信任からくることが多い。中国は家父長制社会のため、去勢され子孫を残せない宦官は、宦官本人が皇帝になろうと考えるのは不可能だけでなく、全ての宦官は皇帝権力を脅かす勢力とはみなされていなかった。さらに中国の皇帝は神の代弁者となっているため、世の中とは一線を引かれ、人民と接触することはなかった。そこで皇帝(神)に仕えるものは家畜的人間である宦官となった。皇帝直属の奴隷である宦官が皇帝の私生活にまで深く関わり信用を得て、自分の考えを「皇帝の言葉」として発することで専横を極めた。
宦官(かんがん)―側近政治の構造 (中公新書)は、中国四千年を操った異形の集団について知ることができる。