関ヶ原の戦いから3年後の1603年、家康は宿望の将軍宣下を受け、江戸に幕府を開いた。よく江戸時代は、織田信長と豊臣秀吉が一番苦労し、徳川家康が何もしないでそのせいかをそっくり頂戴したと言われる。
江戸時代の社会構造はよくできていた。侍は威張っていいけど貧乏、村人は弱いけど税金が少ない、商人は金持っているけど税金が多いなど、上手くガス抜きができるように作られていたが、黒船来襲という想定外のことが起きて崩壊した。
北島正元が書いた江戸時代 (岩波新書 青版 332)は、知っているようで知らない江戸時代を網羅的に簡潔に説明している。
「織田がつき羽柴がこねし天下餅 すはりしままに食ふは徳川」という狂歌がある。三人の天下統一のしかたを餅つきにたとえ、天下統一に信長・秀吉がいちばん苦労し、家康が何もしないでその成果をそっくり頂戴したというたとえである。
はしがきより
すでに仏教・神道などのいろいろな思想体系があったが、将軍ないし大名を頂点とするきわめて細分化された家臣団の身分的構成と、士の農工商三民にたいする絶対的な優越を骨格とする幕藩体制の社会構造を、思想的に強く基礎づけるには、儒教の名分論や五倫五常の倫理をおいてほかになかった。こうして仏教に長い間従属し、貴族や僧侶のたんなる趣味・教養として註釈や詩文の学にすぎなかった儒学が、政治の学、実用の学として独立してきたのである。
III 儒学と武士道より
江戸時代は我々の生活の中に今なお封建的なものとして、色々な形で残っている。現代の年功序列的な考え方や精度は、江戸時代に出来上がったものである。過去への関心が同時に現在と結びつくため、古いものをはっきりと見分け、克服していくためには、それをつくり出した時代の真相を知らなければならない。