読書ノート

ナチスの発明

ナチス時代のドイツは非常に多くの発明・発見を行っている。「ナチスの科学は世界一チイイイイ!!」とジョジョでネタにされていたが、本当に当時は世界一だったのである。電子顕微鏡も、高速道路のモデルになったアウトバーンも、テレビ放送も、ジェット機も、オリンピックの聖火リレーも、源泉徴収も、扶養控除も、ナチス・ドイツ発である。

しかし、これらの制度は今でこそは優れたものとして世界各国で採用されているが、ナチスが作ったというだけで、ぞんざいな扱いを受けた。戦後間もない頃は「ナチスが作った制度」として採用されるまでに時間がかかった。

ナチスの発明は、ナチスが何を作り、その背後には何があったのかを明らかにしている。そして、これが重要なのだが、本書はナチスの残虐行為を擁護するものでも、ナチスやヒトラーを崇拝するものではない。事実を事実として紹介している良書である。

誰がナチスを作ったのか?

ナチスの発明・発見を紹介する前に、簡単にナチスについて説明する。

ナチスはヒトラーがドイツ労働者党から進化させて誕生したが、その背景にはヴェルサイユ条約がある。これは、第一次世界大戦の終戦後にドイツの賠償などを定めた条約である。戦争を全てドイツの責任にして、ドイツを二度と立ち直れないようにするために作られた。ドイツにしてみればものすごく悲惨を極めた条約だった。

まず、ドイツの持つ海外の領土や植民地は全て没収された。さらに原罪の価値にすると60兆円という巨額の賠償金を科した。その上、二度と戦争を起こさせないよう、軍備を徹底的に縮小させた。その結果、ドイツはハイパーインフレになり、人々の生活は困窮し、ドイツ国民は不安にさいなまれながら生活を送らねばならなかった。このインフレは凄まじかったらしく、週毎に物価が上がり、パンが1個1兆マルクになり、100兆マルク紙幣が刷られる自体になった。そしてお金に困った人が最終手段として家を売っても、翌週には紙くず同然の価値になったらしい。

そうした状況の中、「ヴェルサイユ条約の破棄」と「再軍備」を掲げるナチスが頭角を表してきた。ドイツ国民にとっては、何よりも待ち望んでいた政党だった。そしてナチスを作ったのがヒトラーだった。

ヒトラーの生い立ちは別の機会で述べたいので一旦ここでは詳細を省くが、ヒトラーは、第一次世界大戦に志願し、伝令兵として働いた。戦争後、ヒトラーは軍の情報員として働き、ドイツに新しくできた「ドイツ労働者党」に潜入し、内情を探る任務を任された。スパイとしてドイツ労働者党に入り込んだが、仕事を忘れてドイツ労働者党の活動にのめり込むようになった。そして軍を辞め、本格的に入党した。このドイツ労働者党が後にナチスになる。入党時は弱小政党だったが、ヒトラーの弁舌を駆使し、1921年には党首を務めるまでになった。

1923年、党は政権奪取を試み、ミュンヘンでクーデター(ミュンヘン一揆)を起こす。しかしこれは失敗に終わり、ヒトラーは投獄された。翌年に出獄すると、ナチスは大躍進を遂げ、1933年1月30日にヒトラーはドイツの首相に就任する。ちなみに、ヒトラーが首相になったのは、選挙に勝ったからではなく、ヒンデンブルク大統領が任命したからだ。国会第一党とはいえ、三分の一弱の議席しかなく、しかも低落局面にあった党の党首を、ヒンデンブルク大統領は首相に任命したためにヒトラーは首相になれた。ヒトラーは首相になった2ヶ月後に、独裁体制の足がかりとなる「全権委任法」を制定し、国会の全権力を掌握した。

第二次世界大戦までのヒトラーは間違いなくドイツ国民にとっては英雄だった。ナチスは政権を取ってからわずか3、4年で600万人いた失業者をほとんどゼロにした。経済は復興し、国民は生活苦から解放された。強硬な外交路線を打ち出し、第一次世界大戦で失った領土を次々と無血で取り戻した。ドイツ国民は、ヒトラーを熱狂的に支持し、偉大な指導者として仰ぐようになった。

1939年、ドイツがポーランドに侵攻して第二次世界大戦が始まった。開戦当初、ドイツは破竹の勢いで進撃を続け、ベルギーとオランダを余裕で突破し、フランスをわずか1ヶ月で幸福に追い込んだ。さらにソ連、アフリカにも攻め込み勝利した。

しかし、1941年のイギリス本土での空中戦「バトル・オブ・ブリテン」に失敗して以降、失速していく。12月にアメリカが参戦し、翌年6月から始まったスターリングラード攻防戦では敗北する。負け始めてから国民の支持を落ち続けた。そこでヒトラーはゲシュタポや親衛隊をフル活用し恐怖政治を行った。この頃、ユダヤ人迫害が加熱していった。そして、1945年5月には、首都ベルリンの官邸にまで攻め込まれ、ヒトラーは自殺し、ドイツは降伏した。

コンサート技術はナチスが作った

ヒトラーは演説の才能があったが、その声が聞こえなければ意味がない。数万の観衆を前にしてもヒトラーが演説の天才でいられたのは、ナチスの音響装置の発明によるところが大きい。

それまでの演説会などは、劇場を使って行われることが多かった。劇場は、箱自体が音響するように設計されているため、特別な機会がなくても会場のどの席にも声を届かせることができた。しかし、ナチスが勢力を拡大するにつれ、イベントの動員数が増加したため、劇場に収まりきれなくなった。屋内が無理なので屋外でやるしかない。音が拡散する屋外で、いかにヒトラーの演説を観衆に伝えるか、それがナチスの命題になった。

そこでナチスは発明されて間もないスピーカーに目をつける。この頃のスピーカーは低品質で出力を上げると音が割れる粗悪なものだった。しかし、ナチスはめげることなく、音質の向上に取組み、様々な実験を重ねた。その結果、会場に100台余りのスピーカーを設置することで、会場の隅々にまで音を響かせることができるシステムを作り上げた。現代では「PAシステム」と呼ばれる装置の誕生の瞬間である。ちなみに、PAシステムのPAとは、「Public Address」を略したもので、本来の意味は「大衆演説」である。

高速道路「アウトバーン」

ヒトラーが支持を集めることができたのは、演説がうまかっただけではない。ドイツ国民の支持を得ることができた最大の要因は、失業問題を解消したことである。当時のドイツでは600万人が職を失っていた。ナチスの失業対策の切り札だったのが、「アウトバーン」の建設である。アウトバーンは高速道路のことである。「時速200キロで走っているのに追い越される」あのアウトバーンである。

高速道路自体はアメリカなどに既に存在していたが、アウトバーンほど大規模で、最先端の技術を用いているものはなかった。アウトバーンはその後の高速道路のモデルになった。

当時のドイツは道路自体は整備されていたが、道路の規格はバラバラだった。地域によっては道幅が異なったりしていた。そのため、アウトバーンでは道路の規格を統一し、さらに大型車の高速走行に耐えられるようにした。道幅は7メートル半。往路と復路の間には樹木などを植えた緩衝地帯があり、道の外側には2メートルの余裕を作る。この規格で全てを統一した。

アウトバーンには長い直線はなく、適度にカーブがある。長い直線が続くと事故が起こりやすい、という人間工学に基づいて設計されている。この手法は、原罪の席あの高速道路で採用されている。さらに、アウトバーンには日本で言うところのサービスエリアも設置した。風光明媚なスポットには、駐車場と共に休憩地や展望台が作られた。また、故障した時のために、あらゆる場所に電話があり、修理工場があった。自己の際に医者や救急隊がすぐに駆けつけられるような連絡網も作られていた。このようにアウトバーンはまさに現代の高速道路そのままであった。

アウトバーン建設の目的の一つは失業対策と述べたが、この事業は失業対策として非常に優れていた。建設費のうち46%が労働者の賃金に充てられた。たとえば日本でも失業対策(景気浮揚策)として高速道路の建設が進められることがあるが、ゼネコンなどの企業や地主に払われる割合が非常に大きく、労働者に支払われる賃金は多く見積もっても建設費の10%程度である。建設費の半分近くが労働者の賃金に回ったアウトバーンは、公共事業としては驚異的だった。

そして、なぜこういうことが可能だったかと言うと、ナチスは、あらゆる企業に秘書として党員を送り込み、その企業が不当に高い利益を得ないよう、労働者に対してきちんと給料を払うように指導していたからだ。

日本では、駅前の再開発する時は、公共事業が行われる前に、不動産業者などが土地を買い占め、国に高く売りつけたりするが、ナチスはそういうことができないよう、土地の価格などを徹底した。

全体主義だからできたといえばそれまでだが、ナチスの公共事業の手法には学ぶべき点も多いと思う。

聖火リレーはナチスが作った

「出歩く時とかランニングする時はマスクをしろとかほざいてるくせに聖火リレーはマスクなしかよ」とか、「コロナ感染拡大を防止するために家に引きこもっているのにお前たちはマスクなしで外を走り回るのかよ」とか、「感染者多いのにオリンピックしたいがために緊急事態宣言を解除するのかよ」とか、頭の悪い小泉孝太郎の奥さんが「おもてなし」と言ったりして色々と話題の東京オリンピックだが、ナイスはオリンピックにも画期的な工夫を盛り込んだ。その一つに聖火リレーがある。

当時のナイス・ドイツは、「ドイツが世界の招待主をはたすのだから、準備はどこから見ても完璧、壮大でなければならに」として、史上最高にオリンピックになるよう莫大な予算を組み、最高の設備を整えた。

競技に関しても、レース判定のために1000分の1秒まで計れるカメラを開発し、マラソン競技のための巨大な時計を設置した。大会の日程は、過去のデータから最も気候の良い時期を選んで決定した。こうした工夫の多くは現在のオリンピックでも使われている。また、ベルリンオリンピックでは、市場初めてテレビを使った中継が行われた。

そして、ナチスはオリンピックに来る選手や外構人観光客のために、いたれりつくせりの対応をした。ノルウェーのある選手は「僕らは日常生活に戻るのが億劫になっています。今は楽園の真ん中で暮らしているのですから」という言葉を残した。ドイツ鉄道公社は、オリンピックに訪れる外国人旅行者に60%の割引をした。宿を確保していない客も、全滞在期間の予約ができるようにしたり、手厚いガイドを付けたりもした。「ユダヤ人と思われる観光客にも有効的で親切にしよう」という注意も出された。「私達は、ドイツ国民が親切で公平、寛大なホスト役をみごとにはたしたのを見たばかりだ」と殆どの選手や観光客は感想を持った。

大会を盛り上げるために、ナチスは聖火リレーを考案した。この聖火リレーで、オリンピックへの関心はこれまでになく盛り上がった。そのため、1948年のロンドン・オリンピックでも踏襲され、1951年にIOCで正式にオリンピック憲章に加えられた。

ミサイルと宇宙開発

ナチスはミサイルを開発した。報復兵器V2と名付けられたミサイルは、爆弾をつけたロケットである。マッハ2で飛んでくるミサイルは、当時のレーダーでは捉えることができず、戦闘機でも追いつけない。しかも超高速で落下してくるため、防御方法もなかった。

ナチスはヴェルサイユ条約により兵器を開発できなかったが、ロケット開発については制限がなかったため、ロケット(ミサイル)の開発に力を入れた。当時のロケットは発明されたばかりで武器になるとは考えいなかった。当時のドイツでは1930年頃から液体燃料ロケットを開発していた。ドイツ陸軍はその液体燃料ロケットが兵器として使えるのではないかと考え、兵器局で本格的に開発を進めた。それがやがてV2ロケットとなり、米ソが打ち上げた人工衛星へと変化していく。

最初のV2ロケットがロンドンに着弾したとき、「ロケットは完璧に動作したが、間違った衛生に着地した」と述べたらしい。

ナチスが初めてジェット機を飛ばした

当時、ジェットという新技術は世界各国で研究開発されていたが、本当に戦力として活躍できたのはナチスのジェット機だけだった。

なぜかというとこれもヴェルサイユ条約が関係している。ヴェルサイユ条約では、兵器研究に制限がされており、空軍を持つこともできなかったため、軍用機の開発ができなかった。そのためドイツは、エンジンなどの基礎研究を深めるしかできなかった。その結果、最先端の技術であるジェットエンジンをいち早くものにすることができた。

テレビ放送はナチスで始まった

世界で最初に一般向けに定時テレビ放送を始めたのはナチス・ドイツであった。

しかし当時のテレビは非常に高価だったので一般の過程には普及しなかった。そこでナチスはテレビ放送を国民に見せるために、テレビホールという施設を作った。郵便局などの公共施設に部屋を作り、そこにテレビを設置し、無料で観れるようにした。

ナチスの放送なのでどうしてもヒトラーの演説などの政治的なものばかり放送している印象があるが、実際はそうではなく、現代に通じる娯楽番組(料理番組やお見合い番組など)が放送された。

ナチスはラジオを国民に行き渡された

当時のラジオは非常に高価だった。そこでナチスはドイツ国民に普及させるために「国民受信301」という安いラジオを開発した。価格は労働者の月給の半分ほど。現代の日本でAV機器を買うのと同じくらいの負担感だった。

このラジオの普及にあわせて、ナチスはラジオ放送を無料にした。

低価格で手頃なラジオの制作と受信料の無料化、この2つの柱によって、ドイツのラジオ受信者数はまたたくまに増加した。そして、ナチスはこのラジオを通じて、国民に向けて政治宣言をしていった。

このラジオはゲッベルスの管理下に置かれた。ゲッベルスはラジオを「国家に奉仕するラジオ放送」に変えた。

しかしナチスのラジオ番組は全て政治宣伝というわけではなく、多くの娯楽番組も作られた。当時はコンサートに行くか、レコードを聴くしかなかったベルリン・フィルの演奏をラジオで放送したりした。

テープレコーダーもナチスが作った

テープレコーダーの前はエジソンが発明した蓄音機というもので録音していた。蓄音機はレコードに針で傷を受けて音を記録するという装置だが、手間がかかるのが難点だった。

そんな中、1900年にデンマークのポールセンという人が磁気録音を発明した。しかし当初の磁気録音はテープの周りが悪く重量も大きいため、実用的ではなかった。世界の研究者が実用的な磁気記録媒体を作るのに苦労していた1928年に、ナチス・ドイツのフロイマー博士が、紙テープに鉄粉を塗るという方法を発明した。この方法にドイツの電機メーカーAEGなどが改良を重ね、原罪のテープレコーダーの原型を作り上げた。

ナチスはこのテープレコーダーを十二分に利用した。ナチスのラジオではヒトラーの演説やオーケストラ演奏は、テープレコーダーを使って録音したものだった。このことを知らない連合国側は、1日に何度となく演説や演奏が高音質で流れてくるのを聞いて、ドイツ人の体力に下を巻いたらしい。

戦後、連合国諸国は、泥棒競争の果てに、アメリカの手によって世界中に広められることになった。

ナチスの次世代燃料

ナチスは人造石油を作ったりしたが、それでは飽き足らず石油代替品も作っていた。その代表的なものはエタノールである。アルコール燃料とも言われるエタノールは、植物から作られる。ナチスはじゃがいもからエタノールを作り、年間70〜80万トン生産していた。V2ロケットはエタノールを燃料としていた。

現在、植物を原料として、排気ガスもあまり出ないエタノールは、次世代の燃料として注目されている。

ナチスはゴム・衣類を科学で作った

ナチスの経済政策のキーワードに「代用品」がある。これは、天然で取れるはずのものを化学の力で作り出してしまおうというのである。第一次世界大戦に破れた原因の一つに、物資の不足があった。戦争が激化すると貿易が縮小し、輸入に頼っていたドイツは食料品や生活物資にも困るようになり、戦争に負けた。当時の国際情勢を見ると、世界恐慌の余韻が残っており(世界大戦→スペイン風→世界恐慌の流れもいつか書きたい)、貿易は安定しなかった。いつ第一次世界大戦の時のように輸入が途絶えるか分からなかった。そのため、自国で「代用品」を作ることにした。

ナチスはそこで天然ゴムに代わり合成ゴムを作り出した。合成ゴムは石炭と石灰、水素から作られる。人造ゴムはタイヤに適した材料であり、天然ゴムよりも抵抗力があった。また絶縁体としても活躍した。天然ゴムよりも価格は高かったが、寿命が長いために採算は取れた。

現在、合成ゴムは採算面でも天然ゴムを凌駕するようになり、世界のゴム聖餐の半分以上は合成ゴムになっている。

ナチスは電子顕微鏡でナノテクノロジーの扉を開いた

世界初の電子顕微鏡はベルリン工科大学の研究者によって開発された。1931年のころである。ちなみに、野口英世が倒れてからわずか10年後のことである。この野口英世は、黄熱病の研究をしている時に、黄熱病にかかって死んだ。野口英世の時代の技術では、どう頑張っても黄熱病の原因は発見できなかった。野口英世は黄熱病は細菌によって引き起こされると考えていたが、黄熱病の原因はウィルスである。ウィルスは小さいので野口英世が使っていた光学顕微鏡では見ることができない。野口英世は実際は無くても自分が信じていたものを見たのである。

電子顕微鏡の登場によって、それまで見えなかったものが見えるようになった。微細な世界への扉が開かれた。

ナチスは労働者にもバカンスや海外旅行を与えた

祝祭日の多い日本では馴染みは薄いが、ヨーロッパでは夏になると1〜2ヶ月のバカンスを楽しむ。しかしバカンスは富裕層だけのもので、労働者クラスはバカンスは取れない。しかしそのバカンスをナチスは誰でも取れるようにした。

ナチスの方針の一つに「金持ち特権の打破」というものがあった。労働者が不満を抱くのは、金持ちと自分たちの間に生活の格差があるからだと考え、労働者にも金持ちと同じ様な生活をさせ、不満を解消しようとした。この目的の下、ナチスは労働者でも手が届く「フォルクスワーゲン」を開発し、海外旅行をさせ、観劇やコンサート、テニスやスキーを楽しめるようにした。「働いている時は真剣に真っ黒になって働け、仕事が済んだら十分慰安をとれ」。それがヒトラーの考えだった。

また労働者にも十分な教育を施すため、向上や土木現場、道路の建設工事現場に図書館を設置し、誰でもいつでも本を読めるようにした。

スポーツ局というものを作り、労働者にスポーツを奨励した。このスポーツは全て勤務時間内に実施されていた。つまり、有給でレクの時間を取っていたのである。僕の会社でもスポーツサークルなどを作って活動しているが、有給ではない。ナチスは心身ともに健康でいるために、生活を楽しませようと、有給でレクリエーションをしていた。

また、ナチスには「国民に一生に一度は外国から祖国を見る機会を与えよう」と格安パック旅行も行っていた。ドイツに対する尊敬の念を植え付けるという意味もあったが、海外旅行をして見聞を広めるとともに、外国人と親善を深める、というのが目的だった。そして、海外旅行をしたドイツ人と同じ数だけ、外国から旅行者を呼ぼうとした。訪れた外国人たちにドイツの国情を見せつけて、ドイツの偉大さを知らしめるという狙いがあった。こうした狙いの下に、観光客に対しては手厚い持て成しをした。

ナチスは世界で初めて少子化問題を克服した

ナチスは少子化が大きな問題となっていた。今の日本と違うのはそれを克服したことである。

ヒトラーは少子化問題を解決するために、結婚資金貸付法という法律を施行した。これはお金のない人が結婚するときに資金(年収の半分ほどの額)を無利子で貸し付けるという制度で、子供一人に付き4分の1免除した。4人の子供産めば全額免除された。その結果、結婚数が増加し、出生数が20%上がった。

ナチスの少子化対策は出産時ばかりではなく、出産後の母子もケアした。母子援護事業というものがあり、貧困家庭には、食料品やミルク、衣類、寝具の提供があった。また母子援護センターというものが作られ、妊婦や産婦、乳児の健康相談、育児相談、教育相談を行っていた。

さらに、出産した母親を対象にした保養制度もあった。特定の条件を満たした母親が、一定期間の保養施設で休養できる、という制度だった。母子を招くのではなく、母親だけを招く。子育てに疲れた母親は、家事を離れて少しの間どこかでノンビリしたいという要求に応える制度だった。こういう制度は世界中のどこにも類を見ない。

ナチスは女性に優しい政府だった。ワイマール憲法が世界に先駆けて女性に投票券を認めたので、政権を取るためには女性の有権者の支持が不可欠になる。そのために、ナチスは女性に配慮した制作を考案・実行した。

ナチスの税金革命

給料からあらかじめ税金を引く源泉徴収や、扶養家族がいればその分だけ税金が安くなる扶養控除は、ナチスに起源がある。ナチス以前のドイツは増税で景気が悪くなる悪循環に陥っていた。そこでナチスは、政権を取った後、すぐに大減税を行った。低所得者は減税や免除がされた(低所得者に増税を繰り返している日本とは逆である)。また扶養家族が多い者の税金も下げた。家族が多い者が少ない者より税金が少ないのは今では当たり前だが、それを始めたのはナチスだった。これらの税金の制度は完成度が非常に高かったため、第二次世界大戦後、先進国でも導入されるようになった。

労働者たちに対しては思い切った減税をした一方で、莫大な利益を上げる企業に対しては厳しく増税した。

ナチスは自動車の所有者に対して減税を行い自動車を買いやすくする一方で、ガソリンに税金をかけて、道路建設の財源に充てた。日本でも道路建設の目的で田中角栄がガソリン税を導入した。これはナチス・ドイツをお手本にしたものである。

住宅を建設した人の税金も減税されている。これは、住宅建設を促進するために、新たに住宅を作る人の所得税を減税したのである。現在の日本には住宅取得減税制度があるが、これも大元はナチス・ドイツなのである。

また源泉徴収を始めたのもナチスである。税金を徴収する際に、各個人が税務署に納税しに行ったのでは、個人としても、税務署にとっても手間が大きい。そのため企業があらかじめ労働者の税金を天引きしておくという制度を作った。戦時中の日本でも、ナチスに習って源泉徴収を導入した。

ヒトラーは、ポーランドに対して、ルーマニアと同じ様に従属国の役目をさずけ、前々から計画していたロシア侵略の手伝いをさせるつもりでいた。だがポーランドがこの役目を拒絶したので、ヒトラーはポーランドに攻め入った。これがほんとうの開戦理由で第二次世界大戦が始まった。ヒトラーの大量虐殺は、戦争中おこなわれたが、ヒトラーは戦争を口実にして、戦争とはなんの関係もなく、ただかねてより彼個人が望んでいたというだけの理由で、大量殺人をおかした。

戦後は、戦争世代のドイツ人がヒトラーの記憶を遠ざけているために、若い世代の大半がヒトラーについてもはやなにも知らないでいる。さらに、ヒトラー以来多くのドイツ人が、祖国を愛する自信を失ってしまっている状況である。

野蛮で残虐な侵攻や迫害は世界のあらゆる国、あらゆる民族でも行われた。それが最も極端な形で現れたのがナチス(ヒトラー)なのである。人類は、ナチスが何を思い、何をやったのかを、もっと冷静に、もっと深く知る必要がある。ナチスの時代を真っ黒に塗りつぶしてきた歴史観は、そろそろ修正されなければならないのではないか。

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