仏教が好き! (朝日文庫)は、京都大学教授で臨床心理学者・心理療法家の河合隼雄と、多摩美術大学教授で宗教家の中沢新一が、仏教について対談形式で熱く語っている。
著者の二人は根っからの仏教好きなので、他の本には書かれていない内容や切り口で仏教愛を語っており、とても面白い作品となっている。
釈尊と弟子のセックス問答集
仏教では戒律が一番重要なテーマで、色々な戒律が定められていた。
ブッダの頃の仏教は独身者だけの集団だったが、若い青年たちが「空」の修行をしていても、どうしても性欲が溜まってしまう。すると、その修業のエネルギーがとんでもない方向に進んでしまい、インド人もビックリな方法を考え出してしまう。我々には到底思いつかない奔放な無いようなので、日本ではちゃんと紹介されていない。
キリスト教では性に関することは全部ダメ的なこと言うけど、仏教では具体的なその場その場ごとに良い悪いを判断している。そうなると、釈迦も釈迦で大変で、そのとんでもない方法で気持ちよくなったかどうかがを全部聞いて規定しないといけない。釈迦もこういう人相手に説法しないといけないので本当に大変だったと思う。
- ある時、ひとりの修行僧が林のなかで食物で猿を誘い、獣姦した。その後、その猿は僧院に現れ、件の修行僧に食物を求め、彼がそれに応えると、他の修行僧の見守るなかで尻をあげてヴァギナをあらわにした。修行僧はその猿と交わる。他の修行僧から、それは釈尊の教えに反すると詰問されるが、彼は「しかし、釈尊は人間の女性との成功を禁じただけで、動物との性交は禁じていない」と答える。
- ある時、ペニスの長い修行僧があって、淋しさに自分を失い、つい自分のペニスを大便道に入れてしまった。釈尊は「彼、楽しみを覚えたのならば、教団追放である」と宣した。
- ある時、ひとりの出家修行者が女性の木造を見て欲を覚え、ペニスで像の股間に触れた。釈尊を罪を問う彼に「教団追放ではなく、深く懺悔しなさい」と答えた。
- ある時、ひとりの出家修行者がある女性に恋をし、彼女が死んだ後、その墓に納められた骨を集めてヴァギナをつくり、それにペニスを入れた。釈尊は彼を教団追放とした。
- ある時、ひとりの修行者が「この場合は女性との性交を意味しないので罪を犯したことにならないだろう」と推察し、自らの母と性交した。あるいは、自らの娘とした者も、妹とした者もあった。
- ある時、ひとりの出家修行者は墓に行って、未だ鳥獣に喰われざる死体を見つけ、性交してしまう。彼の懺悔に対し、釈尊は告げる。「教団追放だ」と。
- ある時、ひとりの出家修行者が死体を見つけた。その死体のヴァギナのまわりに傷があった。「これなら罪を犯したことにならないだろう」と推察し、ペニスをヴァギナに入れて、傷より出した。また、傷より入れて、ヴァギナから出した。彼の懺悔の告白を聞いて、釈尊は告げる。「教団追放だ」。
- ある時、ひとりの出家修行者が墓所に行って、死体から切り落とされた頭部を見つけた。修行者はその開いた口の中にペニスを入れ、その口で楽しみを覚えた。彼の懺悔の告白を聞いて、釈尊は告げる。「教団追放だ」
- ある時、ひとりの出家修行者が、バッデヤの林にて昼寝をしていた。彼のペニスは風に揺られて勃起していた。ひとりの女性がそれを見つけ、勝手にペニスにまたがり性交して去ってしまった。他の修行者がペニスが濡れているのを見て、釈尊に問うた。釈尊は答えた。「もろもろの出家修行者よ、五つの原因によってペニスは勃起する。欲望によって、大便意によって、少便意によって、風によって、虫にかまれて。もろもろの出家修行者よ、この五つの原因によってペニスは勃起する。もろもろの出家修行者よ、かの修行者は欲望によって勃起したものでなければ、楽しみを覚えたわけでもない。かの修行者は聖者だ。彼は罪を犯していない。
- ある時、バールカッチャに在った出家修行者が元の妻と成功する夢を見てしまった。その夢で目覚めた修行者は「私は修行者失格だ。教団より去らなくては」と考え、ウパーリ長老に告白した。ウパーリ長老は彼に言った。「聖なる修行者よ、夢の中でのことでは、罪を犯したことにはならない」と。
*
仏教が好き! (朝日文庫)は、仏教の詳細な説明や歴史を語っているのではなく、仏教の好きなところをお互いに語っている。特に、性に関する話などは本当に面白い。これを読ませると仏教ファンが増えると思う。仏教の古色蒼然としたイメージも一気に吹き飛ばされてしまう。仏教の知識を深めてから読むとなお面白い。