読書ノート

ルソー

僕らが今日「人権」とか発言できるのはフランス革命のおかげで、そのフランス革命はルソーの書いた社会契約論があったからこそ起きている。なので、僕らが人権とか発言できるのはルソーのお陰と言っても過言ではない。

社会契約論が有名なのでルソーは思想家と思っている人が多いと思うが、実はルソーは仕事の幅が広い人だった。社会契約論や学問芸術論、エミールなどの作品を生み出しいてるため思想家・分筆家として認められていたのは事実であるが、音楽家としての活動の方が経済的にルソーを潤した。ルソーが作曲した「村の占師」というオペラに感動したイギリスの作曲家が「ルソーの夢」という曲を作った。この曲のメロディに由来して、「結んで開いて」の曲が日本で生まれた。

ルソー (岩波現代文庫)は変態・ルソーの生涯と思想、書物について解説している。

ルソーの幼少年時代

ルソーは1712年6月28日にジュネーヴに生まれた。バスティーユ陥落が1789年なので、フランス革命の少し前くらい。ジュネーヴはジャン・カルヴァンが宗教改革の本拠地とした地だった。ジュネーヴにははっきりとした身分の差があった。市民総会に出席でkりうのは公民と平民だけで、公職に就けるのは公民だけであった。移住してきた者には参政権はなかった。しかも公民の上層には特権的な有力者がいて、小評議会などの重要な公職を独占していた。その上、市民総会はめったに開かれるわけではなく、実権は小評議会と200人会議の議席を独占した特権的諸家族が握っており、事実上の貴族制を行っていた。

ルソーの家系はフランス系でパリの商人だった。ルソーの祖先は信仰を守るためにジュネーヴに引っ越した。ルソーの祖父と父は時計職人として働いていた。

ルソーの母親は出産後10日後に亡くなってしまう。ルソーは「誕生が不幸の始め」になった。そんなルソーの世話をしたのは父の妹と乳母だった。父はルソーが5歳の時に思い出の生まれた家を売った。引越し先は父方の祖父のしごと場に近い集合住宅だった。

母のいない家庭でもルソーは大事に育てられた。「王様の子どもたちでも私の幼い頃以上の熱心さで世話をしてはもらえないだろう」と自伝で述べているくらいである。乳母と散歩に行くとき以外では子供仲間と遊ぶこともない子供だった。その中で特異なのは、父と共にした読書である。ルソーは読み書きを覚えると、母の残した恋愛小説を材料に読み方の練習をさせた。やがてルソーは小説に熱中して、夕食後から国体で読んで夜を徹したりするようになった。こうして小説を読み終えると、今度は大伯父ベルナール牧師の残した古典や歴史をモラリストの書物に移った。古典古代への傾倒と共和主義の精神がこうして養われた。

一方、ルソーの兄のフランソワには、こういう暖かさは与えられなかった。時計師の仕事を習い、よその親方に預けられても何度も逃げ、父の折檻も受け、素行おさまらずドイツに蒸発した。

父親は誇り高く平等を主張する人物だったため、名門の人に趣味の狩猟を注意されて決闘沙汰になった。一人だけ訴求を受けるのが嫌だったルソーの父親はジュネーヴを棄てることを選び地元を離れた。ルソーはこの出来事により10歳のころに事実上の孤児となった。その後は母方の叔父ガブリエル・ベルナールが面倒を見ることになった。

叔父は同年の息子のアブラムと共に近くの村のランベルシェ牧師の下に寄宿させた。11歳のルソーは、ランベルシェ牧師の奥さんの体罰によってマゾに目覚めてしまう。

その寄宿生活は2年で終わり、1724年夏にはジュネーヴの叔父の家に引き取られた。ルソーは職を身につけるために徒弟奉公に出ることになった。しかし、市の裁判所書記の見習いの仕事には落第した。翌年13歳の時には彫金師の徒弟として親方の家に住み込んだ。親方は体格の良い20歳で乱暴者だった。奉公先に「公正な自由」はなく、自由のない生活に嫌気がさし、自分も悪に染まっていく。仕事の時間に本を読んでサボったり、嘘や手抜きや盗みなどをしてしまう。

そんな日々を過ごしていた1728年3月14日、門限を破って締め出されたのを契機にジュネーヴを去る決心をし、着の身着のままで歩き出した。

ルソーの青春時代以降

旅立ったルソーはヴァランス婦人に出会い人生が変わる。ヴァランス婦人は貴族のヴァランス男爵と結婚したが、子供に恵まれなかった。ヴァランス婦人は事業熱から地元と悶着を起こしていた。事業にも失敗して、夫にも打ち明けかねていた婦人は、スイスの厳格なカルヴィニズムと違って寛大なカトリックの気風に惹かれてサヴォワへの出奔を決意した。

ルソーは故郷を捨ててから1週間後、このヴァランス婦人と出会った。29歳のヴァランス婦人はルソーに親切に接した。ルソーはヴァランス婦人を好きになり、カトリックに改宗することを決意した。

その頃のルソーは職はなかった。何とか住み込みの仕事を見つけてもすぐに追い出された。簿記や手紙の翻訳も手伝ったが長くは続かなかった。次にありついたのは貴族の下男だったが、リボンを盗み、召使い仲間の少女に罪を押し付けて追い出された。無色のルソーは夜の街を徘徊し、井戸に水を汲みに来る娘たちに露出行為を繰り返した。

ふらふらしていたルソーはヴァランス婦人のもとを尋ねる。婦人はルソーを「坊や」と読んで暖かく迎え入れ、同居させてくれた。ルソーはヴァランス婦人を「ママン」と呼んで慕った。母を知らないルソーは婦人に恋をした。

ヴァランス婦人の好意で神学校に通うことになったが、学校教育にはなじめなかった。その後は大聖堂聖歌隊養成所に通うことになる。そこで音楽家の修行をすることになる。しかし、聖歌隊隊員と喧嘩して養成所を退学することになる。ルソーはママンの所に行ったが、そこにはママンはいなかった。ヴァランス婦人は用事でパリに出かけていた。置き去りにされたルソーの放浪が始まった。

放浪の途中で父を訪ねたが、改宗した息子に対して、再婚して60歳になった父は冷たかった。ルソーはパリ生まれの音楽家と称して作曲活動をしてコンサートを指揮して大失敗したりしていた。

1731年、リヨンでヴァランス婦人の便りを受け取って、ルソーはママンの新居に着いた。ママンはルソーに国王の土地測量事業の書記という職業も用意してくれていた。しかし、この仕事も8ヶ月でやめてしまった。その後はママンを説き伏せて音楽教師として活動を開始した。その音楽教室には良家の婦人たちがたくさん弟子入りしてきた。しかし、これをヴァランス婦人はよく思わなかった。ヴァランス婦人はルソーを「女性たちの誘惑から守るために」自分の愛人にルソーを加えた。ママンは既にアネという愛人がルソーは構わず愛人の申し出を受け入れた。その結果、快楽を味わった。「まるで近親相姦を犯しているようだった」と自伝で述べている。この時ルソーは21歳だった。

翌年、もう一人の愛人のアネが死んでしまった。実はアネは大儲けを夢見て近づいてくるいかさま師たちに騙されそうになっているヴァランス婦人を抑えてきた人物である。そんなアネが死んでしまったので、ヴァランス婦人は経済的困難を極めた。ルソーにはアネのような力はなく、成り行きに任せるばかりか、婦人の用事を口実に旅行に出かけたりしていた。

ルソーは1735年頃から動悸や耳鳴りに悩むようになった。生まれつきの尿閉症が原因と言うよりかは、定職のあてもないし、ヴァランス婦人との不自然な関係を持っているし、ヴァランス婦人の窮乏に打つ手もないし、ということによる憂鬱が原因だった。しかし、ルソーはこの鬱病に勝ち、ヴァランス婦人との楽しい日々が復活した。

ヴァランス婦人の家系はどんどん逼迫していった。ルソーは成人になったので亡くなった母親の遺産を受け取れることになった。ルソーはその遺産を全てヴァランス婦人に提供することを決意した。ルソーは母の遺産を受け取るためにジュネーヴに行った。しかし相続の手続きをしてくれた本屋の親子が喧嘩したために受け取りに時間がかかった。ようやく遺産を受け取ったルソーがヴァランス婦人のもとに戻ると、ヴァランス婦人に新しい愛人ができていた。ルソーは「心臓の肉腫」ということにして体よく医者の所に旅立たせられた。その道中、ルソーは馬車で相乗りしたが、この時に20歳以上年上のルナージュ婦人と出会い、「官能の快楽を満喫した」らしい。

ルソーはヴァランス婦人に手紙を書いたが、8ヶ月先まで戻らないように返事を受け取った。ヴァランス婦人はルソーを遠ざけようとしていた。しかしルソーは「私に別な生き方ができるなどと考えるのは無駄なこと」と返信を書いたりしていた。

ヴァランス婦人はレ・シャルメットの農園を借りて、ルソーをそこに住まわせた。見捨てられたルソーはその農園で勉強に打ち込むしかなかった。

1742年夏、ルソーが30歳のころ、ヴァランス婦人の家系は破滅に近づきつつあった。ルソーはママンを助けるために考えた。そこで生まれたのが音階を数字で記すことであった。現代でもハーモニカの音符などに使われている方法である。この便利な新記譜法をアカデミーに提出して、それで一財産を作った。ルソーはそのもくろみに夢中になってパリに出た。

その後ルソーは売れない文筆家・音楽家として37歳まで生活した。38歳の時にルソーの論文が評価され、「学問芸術論」が刊行された。しかし「学問芸術論」は印税収入をもたらさなかった。しかも尿閉症の持病が悪化し、人に手伝ってもらってかろうじて導尿できる有様だった。医者には6ヶ月の命と言われ、残された人生を独立と貧困のうちに過ごそうと決心して、他人の判断を少しも気にせず、自分が良いと思うことを勇敢に行うことを決心した。やがて、社交のための華美な服装を止め、時計も売って、写譜に閉じこもる。交友も2人だけに絞った。

学問芸術論が金にならない頃、ルソーを経済的に潤したのは音楽だった。「村の占い師」を作曲した。このオペラは同じ1752年10月にフォンテーヌブローで御前公演されることになった。合唱はオペラ座、オーケストラはオペラ座と宮廷楽団の混成とベスト・メンバーが国王を前に上演し、大成功した。国王から褒められ、年金下賜の内意も受けた。この作品には国王から100ルイ、貴族から50ルイ、オペラ座から50ルイ、出版元からも500フランが支払われ、ルソーの生活を十分に潤した。

この頃のヴァランス婦人は、鉄鉱も炭鉱も事業に失敗し、石鹸工場もうまく行かなかった。ヴァランス婦人は落ちぶれて別人のように成り果てた。しかしルソーは彼女に何かをする決意がつかず、ママンと運命をともにすることはなかった。

ルソーはその後は音楽家と思想家として活動を続け、66歳の誕生日の4日後、早朝の散歩の際に倒れて亡くなった。死因は卒中だった。

今の僕らに多大な影響を及ぼしたルソーは「考える前に感じる」人だったらしく、思想をまとめるのが困難であり、この感受性が他人の思想をフォローすることを妨げて、機会が与えられても学校教育を受けることになじめなかった。そのため、実は正規の学校教育を何一つ受けずに、独学で「思想の蓄積」を築いた。

ルソーは自分の才能に自信があったが、裁判所書記の見習いに出たときも、ヴァランス婦人のもとで職業の適性を検討したときも、ルソーの才能は認められなかった。学校教育も合わずに断念した。様々な勤め口は一つとして長続きせず、音楽教師にも自信は持てなかった。死ぬまでママンであるヴァランス婦人の側にいたいと思っていた。

さらには幼い頃にマゾに目覚め、夜な夜な露出狂として活動したり、(当時は普通だが)愛人として生活したり、その愛人相手に財産をできるだけ貢ごう頑張った。

現代でルソーのような人がいるとただのクソ野郎である。そんなクソ野郎が、政治的な差別は必然に社会的な差別をもたらすと考えた。首長と人民との不平等が広がるほど、隷従する人民の間の不平等も広がり、「一握りの権力者と富者とが偉大と富との絶頂にありながら、一方で民主が悲惨の中を這い回る」と述べた。また、「人間は自由なものとして生まれていて、いたるところで鉄鎖に繋がれている。自分が他の人々の主人であると考えている人も、彼ら以上に奴隷なのである」とも述べた。そして、社会契約論の中で支配=服従契約を徹底的に否定し、正当性を述べた。

ルソーが書いた社会契約論がフランス革命に繋がり、今の僕らの生活がある。歴史って何がどうなるか分からないもんである。

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