武装SS―ナチスもう一つの暴力装置 (講談社選書メチエ)は、武装親衛隊(SS)が第三帝国期に、組織としてどのような運動を展開し発展を遂げたのか、という問題を中心に据えている。ナチスの時代に特徴的な形で発生したこの組織について、歴史的にいかなる位置付けが可能なのか、またこの組織が世界史的にどのような役割を演じたと言えるのか、を検討している。
武装SSは、ナチ体制、とりわけ戦時体制の中で、伝統ある正規軍であるドイツ国防軍と並立して存在した。なぜ軍と並列して武装SSが存在できたのか、この疑問にも真正面から答えている。
レーム殺害
1934年7月1日、ミュンヘン郊外の刑務所に拘引されている突撃隊幕僚長レームのもとに3人の客が訪れた。彼らは親衛隊の将校で、リーダーはアイケという人物だった。当時ミュンヘン北西のダハウ強制収容所で所長を勤めていたアイケは、ヒトラーからレームを「処刑せよ」という命令を受けていた。まずピストルをレームに渡して自殺を勧め、レームが拒否すれば射殺せよ、という指令だった。
レームは、前日の6月30日の早朝にヒトラー自身に突然寝込みを襲われた。レームは、「反逆罪で貴様を逮捕する」と言うヒトラーが、なぜ自分を拘束して刑務所に繋いだのか分からなかった。
1933年1月30日のヒトラー政権掌握に際しては、ヒンデンブルク大統領によるヒトラーの首相指名がそもそもだが、突撃隊も選挙闘争にいおいてはナチス大衆運動の中核として重要な役割を演じていた。権力掌握後も、左翼政党・労働組合の解体、各地方政権・社会諸団体の強制的同質化(=ナチ化)を進めていくうえで、突撃隊はなくてはならない存在だった。
しかし、ヒトラーの権力掌握が終了しても「ナチ革命は終わっていない」と更に第三帝国での新しい役割を要求した。とりわけ国防軍に代わる新国民軍としての地位要求をヒトラーに対して突きつけた。だがレームと突撃隊は袋小路に迷い込んだ。第一次世界大戦後の再軍備政策では軍を最優先する以外考えられなかったヒトラーは、レームや突撃隊幹部の粛清を決意させることになった。
レームら突撃隊幹部を粛清した「レーム事件」は、アイケのキャリアのターニングポイントになった。レーム殺害4日後に、アイケは全国強制収容所総監に任命された。さらに、アイケは親衛隊武装組織の司令官にも任命された。これは、強制収容所監視を任務としながら武器の訓練を行うのが任務である。
武装親衛隊の起源
親衛隊(SS)の組織的起源そのものは、突撃隊同様1923年のミュンヘン一揆以前に遡ることができる。ナチ党突撃隊は、1921年に志願者から形成された、ナチ党の闘争・防衛部隊で、権力獲得を目指す大衆運動組織になっていった。
その中から、ヒトラーのボディーガードかつナチ党の集会防衛組織として、親衛隊が発足した。ヒムラーが親衛隊の全国指導者に就任してから、自らをエリート組織として突撃隊と区別し、独自の組織系を発展させた。1932年には、指導・管理・人事を担うSS局(後の主管本部)と情報組織としての保安局(後の保安本部)、人種純化・農民植民計画・親衛隊血縁共同体育成等を担当する人種・植民局(後の人種・植民本部)ができあがる。その後、12の本部を備えた巨大機構に発展した。
ヒムラーは、SSを「能力ある、大柄の、人種的に優れた、しかもできるかぎり完全な若い力」から構成するようにした。身長は最低170cm、年齢は30歳まで、身体適格を明示した医療証明が必要とされた。ヒトラーの政権掌握後は、入隊希望者が異常に増えた。そこでこの必要条件はより厳しいものになった。例えば、特務部隊の場合には、身長は最低174cm、年齢は23歳まで、眼鏡はNGにした。知的・環境的選抜基準より、人種的・肉体的・性格的メルクマールを優先させた。
正式に登場した武装親衛隊
1939年5月、春期演習で特務部隊「ドイチュラント」がお披露目された。彼らは、軍が普通使っていたカービン銃に代えて、小機関銃と手榴弾、爆裂弾を携帯していた。また、接近戦向けに鍛えられ、軍事的チームワークと呼ばれる小部隊の共同作戦を十分習得していた。彼らは法外なスピードによる強襲ぶりを見せつけた。
1939年5月18日、特務部隊に対して、師団編成の指令がヒトラーから発せられた。この師団に対しては、2万人を上限とされた。どくろ部隊に対しては同様に1.4万人、増強警察部隊には2.5万人を上限とされた。これにより武装SSは、軍事組織としての正式認知・師団化を勝ち取った。
そして、1939年9月に始まった対戦が第三帝国にとって意想外に長期化したことが、結果的には親衛隊に対して、その軍事的翼拡張の新たな可能性を与えた。
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日本ではゲームや漫画の影響もあり、武装SSに関心を持つ人も多い。にもかかわらず、武装親衛隊の「神話」や「虚像」を穿つ試みは武装SS―ナチスもう一つの暴力装置 (講談社選書メチエ)までは皆無に等しかった。筆者は、こうした状況に一石を投じ、これまでは十分に検討されてこなかった問題の解明に役立っている一冊である。
武装SSは、どのようにドイツ国防軍から自らを差異化し、どこに自らの正当性を見出し、いかにして自律性を獲得していったのだろうか。以上の様な問題にも言及している。
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ヒトラーとナチ・ドイツ
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