兵站とは、軍隊を動かし、かつ軍隊に補給する実践的方法である。指揮下の兵士に対して、兵士として活動するのに必要な3,000kcal/日を補給できるか否かの問題である。戦争において、一旦、決定的な場所が確認されれば、そこに兵士と物資を投入するのが「兵站」の領域となる。
「戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る」と言われる。補給を含めた兵站の問題が戦争の最も重要な要素の1つであるにも関わらず、戦争史研究において兵站に焦点を当てて考察した文献は、本書の登場までは少なかった。
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)は、軍隊を動かし軍隊に補給する際に生じた問題が、技術や組織といった要因の変化によって歴史的にどのように影響を受けたかを探っている。また、「兵站」が戦略に及ぼした影響の考察もしている。
16〜17世紀の戦争
一般的に各国の軍隊は傭兵からなっていた。兵士には給料以外に金を支払われなかったが、兵士たちはその給料の中から日々の食糧や被服、装備、平気、弾薬を購入していた。財政当局が金を送り、それがきちんと分配されていて、かつ人口がある程度多い場所に駐留している限り、補給制度は十分に働いていた。そのような場合には、定期市が監督官の管理下に置かれつつ開かれていた。
しかし、軍隊が駐屯地を離れて行動すると、自体は一変した。市場を設けるのが難しいため、現地の農民を頼りに軍隊を養うしかなかった。従軍商人が軍隊について行ったりもしたが、彼らが持ち運びできる物量にも限りがあったので、軍隊の規模が大きくなると、軍隊を養うのは難しかった。
そのため、軍隊を途中にある町や村の民家に宿営させたりもしていた。これだと宿舎や塩、明かりがタダで済むうえに、他の必要物資も金を支払わなくても得られると期待された。しかし、この方法も軍隊の規模が大きくなると難しかった。
太古の昔では、欲に任せて全てを奪取させれば良かったが、16世紀になると濃厚が発展し人口が増えた。それに伴い軍隊の規模があまりにも大きくなったので、略奪でもまかなえなかった。とはいえ軍隊は食糧を得るために略奪を行ったため、通る道々の田野を荒廃させていった。また、軍隊に食糧を与えることができないため、軍隊を統制下に置くことができず、逃亡を防止することもできなかった。
このような状況だったので、16世紀末頃になって初めて、指揮官たちは、食糧や飼料、兵器、衣服などの基本的な必需品を兵に与える必要を感じ始めた。
しかし、各国の指揮官たちは、従軍商人の助けによってこの問題を解決しようとした。軍隊に補給する契約が交わされ、その費用は兵士の給料から差し引かれることになった。だが軍隊の増大は各国政府の財政力を遥かに超えていたため、ヨーロッパの各国は破産し、軍隊に給料を支払う余裕はなかった。
そのため、16〜17世紀の軍隊は、常に移動を続け、行く先々で略奪しなければ食っていけなかった。
当時は馬車を使って軍隊への補給をしていたが、船が登場した。船は馬車に比べて運搬能力が大きかったのと、馬車だと馬車自身のための補給品がさらに必要だったので、軍隊への補給に船が使われ始めた。
まとめると、当時の兵站は、食っていくために常に移動を続け、移動する時は河川をたどり、できるだけ水路を支配することが求められた。
戦争に次ぐ戦争により、ヨーロッパ各地は軍隊の略奪にあい、中央ヨーロッパはすでに荒廃しつくした。大規模の軍隊をもう維持することができなくなった。1.5万人以上の兵をある一点に集結させることが決してできなくなった。
ナポレオンと補給
当時の戦争は、包囲戦が主流だった。敵の完全打破を狙うより、敵の負担を重くさせることによって戦争を放棄させ譲歩を強いて、一定の政治的、経済的目的の達成を狙っていた。
包囲戦では敵の城が強力な防御力を持っていると、7倍もの人数が必要だったので、大規模な軍隊によってのみ包囲戦が可能だった。しかし、大規模な軍隊を一点に留めるには補給の観点から難しかった。
そんな中登場したのがナポレオンである。ナポレオンは、兵站面で果てしない困難を引き起こしたのは、包囲戦を好んだ18世紀の偏りのためだと悟り、前進しながら戦うことを選択した。当時最も重要視されていた敵の要塞の優先順位を下げたのである。事実、ナポレオンは、いくつもの戦争をしたが、包囲戦を行ったのは2回しかなかった。巨大な軍隊にヨーロッパを真っ直ぐ横断させ、広大な帝国を建設し、回復できないまでに全世界を破砕した。
逆に言うと、天才ナポレオンでさえ、包囲戦での兵站上の問題を解決するのはできなかった、ということでもある。
鉄道は戦争をどう変えたか
19世紀後半になると鉄道が興隆した。
計画の行き届いた鉄道網は軍隊を急速にある地点から数百マイル離れた他の地点へ移動できるようにさせ、そうすることによって速度比兵力量を増やし、敵地に兵力の集結が可能になると言われた。このことを最初に理解して実行したのはロシア軍だった。ロシアは1846年に戦争に鉄道を利用し、続いて4年後にオーストリア軍が鉄道を利用した。
軍部の中には鉄道網が良好だと国土が簡単に蹂躙され、要塞の安全が脅かされると考え、鉄道は馬車に取って代わられることはないだろうと考える者もいた。しかし7年後にフランスが鉄道の戦略的利用について世界を驚かせた。4/16〜7/15の短期間で、兵員60.4万人、馬12.9万匹の当時のフランスの全常備兵力を鉄道で輸送した。
鉄道が戦争で使われるようになり明らかになったことがある。それは、鉄道は兵站駅に補給物資を送るよりも、そこから前線の軍隊に補給物資を送る方が遥かに難しい、ということである。国境までは良いが、敵国の鉄道とは規格が違うので、敵国領内に侵入し続けるのに失敗したりしていた。
防御側は自国の鉄道網をフル活用できるが、攻撃側は戦線を推し進めないといけないため鉄道線には頼れなかった。そのため、鉄道利用は攻撃側よりも防御側に有利に働いた。防御側は攻撃側に合わせて移動するが、鉄道網が発達し移動スピードが発達すると大国の防御力は最高水準まで高まった。ドイツの経済学者リストは、「鉄道による防御力のお陰で、戦争ができなくなり、平和が地上を支配するであろう」とまで言った。
ちなみに、ドイツでは道路上で帰還者を走らせる試みがあったらしいが、機関車は良好な道路だけにしか使えなかったため大回りを余儀なくされた。坂道を登る能力は限られていたし、速力は遅く操縦が困難だった。このような理由で機関車を走らせる計画は成功しなかった。
巨大化と機動性との相克
1871年から1914年にかけてヨーロッパの人口と経済は急速に拡張した。その間に人口は70%増加し、石炭生産高は4倍になった。産業革命は職業と住居の形態に大変化を与えた。
産業が発展すればするほど主要国が保持する軍事手段の規模も大きくなった。それまでの歴史になかったような大規模な軍隊が可能になった。例えば、フランスは、1870年まで3,700万人の人口に対して50万人の兵力だったが、1914年には400万人の兵力に達している。しかも人口そのものの増加は10%以下に過ぎないにもかかわらずだ。
戦争が複雑になるにつれて、兵士一人当たり一日文の補給物資消費量はむろんのこと、軍隊が戦場に持っていく行李の数は、兵力量の増加率をさらに上回って増えた。あれやこれやの必要に応じるため、野戦軍に物を運ぶ馬匹の数は絶えず増え続け、兵士対馬匹の比率は、3:1までになった。しかし馬は人間の約10倍食べる。そのため、各部隊当たりの一日の食糧必要量の合計は50%増えた。兵士一人あたりについての携帯量や一日平均消費量は、1914年には1870年に比べて、何倍にも増えた。このような委譲な増加に対応するため、最も重要な戦略的輸送機関の鉄道も目覚ましい発展を遂げた。
しかし、鉄道網そのものが敵の行動に対して全く脆弱だったため、鉄道を作戦面で利用するのは困難であり、鉄道利用は主に前線への輸送や前線背後での輸送に限定された。軍隊の後方で行動する鉄道はかなり早く進むことができたが、前線と根拠地での間を永久に行ったり来たりするだけで、軍の進撃は遅かった。
第二次世界大戦時になると、戦術的には敵陣突破できたとしても、敵国領内に鉄道網を建設するのが遅れ、補給が続かなかったりした。そのため、補給手段として自動車(トラック)を活用した時期もあった。しかし、車がたった一本の複線の鉄道輸送能力に匹敵するには、1,600台ものトラックが必要だった。燃料や人員、予備部品、維持を考えると、200マイル以上の距離では鉄道の方が優れていた。
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補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)は、1977年にケンブリッジ大学出版部から出され、その直後に政治経済の評論誌として有名な英エコノミストで、「戦争の真実をついた研究書」として激賞を浴びた本である。
補給戦―何が勝敗を決定するのか (中公文庫BIBLIO)は、補給という戦争の勝敗を決する最大の問題に、現代の軍事研究家として初めて本格的に取り組んだ。最初から最後まで、中小t系な理論化よりも、食糧や弾薬、輸送などの現実的な諸問題に注意を払っている。また、荷馬車やトラックの数、一日の走行距離、兵に必要な食糧、弾薬の量などの補給に関するあらゆる面から推論を煮詰めている。そのうえで戦略と補給との関係を論じ、戦争の勝敗を決定するものは何か、を描いている。
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これまでに読んできた本の中でもトップクラスに何が書かれているかが分からない本だった。そもそものクレフェルトの文章も読みづらい上に、日本語訳のレベルも低いので、本当にたちが悪かった。定価が1,429円だが、その金額を支払って、400ページ以上の難解な日本語を読まないといけないのか...。テーマ自体は素晴らしいので非常に残念だった。
巻末に石津朋之という人の解説があるので、絶対にこれを読んでから本文を読んで欲しい。じゃないと何書いているか全く分からない。なんなら巻末だけでもいい。