世の中には「問題解決」や「思考法」をテーマにした本が溢れているが、その多くはツールやテクニックの紹介で、本当に価値のあるアウトプットを生み出す、という視点で書かれた本は少ない。しかし、「カナヅチを持っていれば全てがクギに見える」という言葉もある通り、目的を知らずにツールだけを使うのは大変危険である。
意味あるアウトプットを一定期間内に生み出す必要のある人にとって、本当に考えなければならないことは何か。イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」はそのことに絞って紹介している。
目次
仮説を立てる
強引にでも前倒しで具体的な仮説を立てることが肝心。「やってみないと分からないよね」ということは決して言わないようにする。
- イシューに答えを出す
仮説に落とし込まないと、答えを出し得るレベルのイシューにすることはできない。「〇〇の市場規模はどうなっているか?」というのは単なる「設問」にすぎない。「〇〇の市場規模は縮小に入りつつあるのではないか?」と仮説を立てることで、答えを出し得るイシューとなる。仮説が単なる設問をイシューにする。 - 分析結果の解釈が明確になる
仮説がないまま分析を始めると、「分析のための分析」になってしまう。出てきた結果が十分なのかそうではないのかの解釈ができないのだ。ただただ労力ばかりかかることになる。
言葉にする
イシューが見えて仮説を立てたら言葉にする。言葉にする時のポイントは、1)主語と動詞を入れることと、2)WhyよりWhereとWhat、Howと表現すること、3)比較表現を入れることに気をつける。
主語と動詞を含む文章にすることで、曖昧さが消え、仮説の精度が高まる。
また、「Where: どちらか?どこを目指すべきか?」、「What: 何を行うべきか?何を避けるべきか?」、「How: どう行うべきか?どう進めるべきか?」を入れて表現することで、白黒はっきりさせ「答えを出す」という視点で整理できる。
さらに、言葉の中に比較表現を入れることで、何と何を対比し、何に答えを出そうとしているのかが明確になる。例えば、ある新商品開発の方向性のイシューの場合であれば、「テコ入れすべきは操作性」と言うよりも、「テコ入れすべきは、処理能力のようなハードスペックではなく、むしろ操作性」とする。
悩まない、悩んでいるヒマがあれば考える。
「悩む」=「答えが出ない」という前提のもとに、「考えるフリ」をすること
「考える」=「答えが出る」という前提のもとに、建設的に考えを組み立てること
これ、色々な所で聞く言葉だと思うが、ビジネス・研究ですべきことは「考える」ことであり、あくまで「答えが出る」という前提に経っていなければならない。
仕事とは何かを生み出すためにあるもので、変化を生まないと分かっている活動に時間を使うのは無駄である。これを明確にしておかないと、「悩む」ことを「考える」ことだと勘違いして、あっという間に時間を失う。
10分以上真剣に考えて埒が明かないのであれば、そのことについて考えるのは一度止めるのが良い。それはもう既に悩んでしまっている可能性が高い。
バリューのある仕事をする
バリューのある仕事をしようと思えば、取り組むテーマは「イシュー度」と「解の質」が両方高くなければならない。問題解決を担うプロフェッショナルになろうとするなら、このマトリクスをいつも頭に入れておくことが大切だ
本書では、「生産性」を「どれだけのインプットで、どれだけのアウトプットを生み出せたか」と定義している。このアウトプットは、ビジネスマンであればきっちりと対価を貰える、研究者であれば研究費を貰えるような「意味のある仕事」である。こうした意味のある仕事を「バリューのある仕事」と呼んでいる。プロフェッショナルとは、特別に訓練された技能を持つだけではなく、それをベースに顧客から対価を貰いつつ、意味のあるアウトプットを提供する人である。
バリューの本質は、「イシュー度」と「解の質」という2つの軸から成っている。イシュー度とは、「自分の置かれた局面で、問題の答えを出す必要性の高さ」、解の質とは、「そのイシューに対してどこまで明確に答えを出せているかの度合い」である。
また、一心不乱に大量の仕事をすることは、絶対にやってはならない。労働量によって「イシュー度」と「解の質」を高めようとするのは時間の無駄でしかない。もし、人並み外れた体力と根性を持って成長できたとしても、そのやり方では人を育てることはできないので、リーダーとしては大成できない。単なる努力で高みに行くのは難しい上に、将来のリーダーとしての芽を摘む行為となる。
そのため、まず、「イシュー度」を上げ、その後に「解の質」を上げなければならない。徹底してビジネス・研究活動の対象を意味のあること、つまりは「イシュー度」の高い問題に絞ることをしないといけない。仕事を初めたばかりでこの判断ができないなら、上司や指導教官に、「自分が思いついた問題の中で、本当に答えを今出す価値のあるものは何でしょうか?」と聞けば良い。上司や指導教官ならこれの判断はできるはず。もしできないなら上司を変えるくらいのことをしないといけない。
絞り込めたら「イシュー度」の高い問題から手を付ける。「解の質」を上げるためには、個々のイシューに対して十分な検討時間を確保することが必要である。
うさぎ跳びをひたすらしてもイチローにはなれない。「正しい問題」に集中した、「正しい訓練」が成長に向けたカギとなる。
答えを出せるイシュー
どれほどカギとなる問いであっても、「答えを出せないもの」はよいイシューとは言えないのだ。「答えを出せる範囲でもっともインパクトのある問い」こそが意味のあるイシューとなる
重要であっても答えを出せない問題は多く、ビジネス上でもこうした問題は多い。例えば、プライシングとかは明確に分析的にきっちり答えを出す方法は存在しない。プレーヤーが2社であれば、ゲーム理論を活用してかなりのところまで答えを出せるが、3社以上になると難しくなる。
また、他人には解けても自分には手に負えない問題というものある。
そのため、良いイシューとは、「きっちりと答えを出せる」ことである。イシューだと考えるテーマが「本当に既存の手法、あるいは現在着手し得るアプローチで答えを出せるかどうか」を見極めることが重要である。イシューの候補が見えてきた段階で、そうした視点で再度見直してみることが肝要である。
「だから何?」を繰り返す
一見すると当り前のことしかイシューの候補として挙がらないときには、「So What? (だから何?)」という仮説的な質問を繰り返すことが効果的だ。何度も自分に対し、あるいはチーム内で質問を繰り返すことで仮説がどんどん具体的になり、検証すべきイシューが磨かれていく
例えば、「地球温暖化は間違い」という仮説を立てたとする。これでは、何を間違いとしているのか曖昧なのでダメ。
次に、「地球温暖化は世界一律に起こっているとは言えない」と仮説を立てたとする。しかし地域の気候に多少のムラがあるのは当然である。
更に、「地球温暖化は北半球の一部だけで起こっている現象である」と仮説を立てたとする。これでやっと地域が限定されたので白黒がつけやすくなる。
もう少し踏み込んで、「地球温暖化の根拠とされるデータは、北米やヨーロッパのものが中心であり、地点に恣意的な偏りがある」と仮説を立てる。これで地域が更に限定されたため、検証のポイントが明確になった。
最後に「だから何?」をもう一度やって、「地球温暖化を主張する人たとのデータは、北米やヨーロッパの地点の偏りに加え、データの取得方法もしくは処理の仕方に公正さを書いている」となる。これでやっと、「データ」に加え、その「取得方法・処理の仕方」に問題があるという仮説があるため、答えを出すべきポイントがより明確なイシューとなる。
「なぜ?」や「だから何?」を5回くらい繰り返せば、問題の核心を探れる。これで、答えを出すべきイシューを見極めることができる。
分析とは何か?
僕の答えは「分析とは比較、すなわち比べること」というものだ。分析と言われるものに共通するのは、フェアに対象同志を比べ、その違いを見ることだ
コンサルの会社に努めていると、新卒の子が「私、分析やりたいんですっ!」と意識高く言う人をよく見る。しかし、彼ら/彼女らに「分析って何?」と意地悪な質問をすると意外と答えられない、というのが多い。分析とは、ただ比べているだけである。
「ジャイアント馬場はでかい」っていう表現も、ジャイアント馬場の身長を日本人と外国人の平均身長と比較して見せるだけで、立派な分析になる。
そして、分析は「定量分析」と「定性分析」があるが、「定量分析」で何とかなる。
定量分析は、比較と構成、変化の組み合わせに過ぎない。チャートを使って説明すれば、だいたい話を分かってもらえる。
「比較」は、最も一般的な手法で、同じ量や長さ、重さ、強さなど、何らかの共通軸で2つ以上の値を比べているだけである。シンプルだが、軸させうまく選択すれば明瞭かつ力強い分析にある。
「構成」は、全体と部分を比較しているだけ。市場シェアやコスト比率、体脂肪率など、全体に対する部分の比較をしている。「ポカリの砂糖濃度は8%だ」みたいな感じで、「何を全体として考えて、何を抽出した議論をするか」という意味合いを考える時に使う。
「変化」は、同じものを時間軸上で比較すること。売上の推移や体重の推移、ドル円レートの推移などは全て変化による分析の例である。「何と何を比較したいのか」という軸の整理が重要になる。
「本質的」「シンプル」を実現する
これを描くために多くの人が日々四苦八苦しているが、本当に気の毒なのは「意味の分からないチャートを見せられて四苦八苦している聞き手や読み手の人」だ
どんな説明もこれ以上できないほど簡単にしないといけない。それでも人は分からないくらいである。そして自分が理解できなければ、それを作った人間のことをバカだと思う。人は決して自分の頭が悪いとは思わない。
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「お腹が空いて力が出ない」と泣いているカバオくんに対してアンパンマンは顔の一部をあげて去っていくが、お腹が空いていることがイシューなのか?カバオくんは実はDVの犠牲者じゃないのか?カバオくんの両親は実は死ぬほど商売が下手で、お金を稼げないからカバオくんはお腹が空いているのではないか?「何に答えを出すべきなのか」についてブレることなく活動することがカギとなる。自分はアンパンマンになっていないか?
イシューを知り、それについて考えることでプロジェクトの立ち上がりは圧倒的に速くなり、混乱の発生も予防できる。目的地の見えない活動はつらいが、行き先が見えれば力が湧く。つまり、知的生産活動の目的地となるものがイシューである。
このイシューが僕らの行う知的生産において、どんな役割を果たし、どのように役立つのか。イシューをどのように見分け、どう扱っていくのか、イシューからはじめよ ― 知的生産の「シンプルな本質」はそれを説明している。