ロジカルシンキングは世の中で語り尽くされているが、ロジカルシンキングの弱点はあまり述べられることがない。その弱点とは、客観性を備えなければならないロジカルシンキングの宿命を指している。主張とは本来、主観的なものである。しかし、客観的な主張というものはあり得ない。ロジカルシンキングとは、主張を客観的に見せるためのレトリックである。
ビジネスにおける重要な選択は、人の価値観によって行わなければならない。問題は、その人の価値観が外部から持たされた価値観が、自分の内なる価値観かの違いにある。自分の内発的価値観を理解していなければ、判断の軸がブレ、変化に翻弄されてしまう。自分の選択の基準が分からなければ、未来が見えず、重要な決断を行うリスクを取れなくなる。自分と他者との価値観の違いが分からなければ、相手の意味を深く理解することもできない。さらに、異なる価値観どうしを調和し、大きな進歩を生み出すことは難しい。
ビジネスの世界では、"価値"という言葉が溢れている。価値とは極めて主観的な問題である。「それには価値がある」というのは、「それは私にとって大切だ」というのと同義である。価値を生み出すためには、外部の基準が変わっても変わらない自分の価値観を理解し、表現することが不可欠である。論理思考は、それがあってはじめて効果的に機能するものである。
論理思考力を高める以前に、主観的な主張力・選択力が鍛えられなければならい。また、主観と客観の療法を組み合わせて活用する思考が、体得されなければならない。論理思考は万能ではないは、そのための視点と方法について述べている。
因果関係の嘘
因果関係が明白であればあるほど、問題解決の精度が高まるように思われるが、実際には因果関係が極めて明白な直接的原因は、問題解決の役に立たないことがほとんどである
因果関係を説明されると、客観的、論理的に分析がなされているような印象を受けるが、問題解決の場面で行われている因果関係分析の大部分は、恣意的である。ビジネスの世界における因果関係のほとんどが、実際のところ特定不可能なものだからである。
因果関係分析においては、事象Bという結果から出発して、その原因について時間を遡って探ろうとする。その際、問題解決のために原因を特定するという意識が働くため、解決可能な原因に定義しようとする。つまり、原因が作られるのである。実はその過程で、因果関係は因果関係ではない別のものに変容してしまうというケースが多々起こっている。
無益な因果関係
- 人を大勢採用した(原因)→人件費が増えた(結果)
⇒ 過去の意思決定は変えられない - 原油価格が上昇した(原因)→製造原価が増えた(結果)
⇒ 外部環境はコントロールできない - 多額の融資を受けた(原因)→支払利息が増えた(結果)
⇒ 原因を解消できれば良いのは自明だが、それができないから困っているのだ
MECEにはモレがある
MECEは選ばれたロジックの選択肢の中でのみMECEなのであって、捨て去られる選択肢があるという点で、MECEではない。したがって、完全にMECEなロジックツリーを作ることは不可能であるが、何が採用されて、何が捨て去られているかは、主張する側によって恣意的に決められている、ということは認識されていなければならない
ロジックツリーは主張を説明するためのものであり、主張は人の見解によって異なってしかるべきものであるため、恣意的であることはその意味で当然である。
MECEは主張を論理的に説明するあtめには効果的であるが、あるロジックがMECEによって説明されると、主張する側と主張を聞く側に枠が設けられ、その枠を越えた創造的な発想が抑制される恐れがある。
MECEは、主張を論理的に説得するためには効果的な手法である。しかし、このように二分されたものの相互関係から、進歩や創造が生み出される可能性を狭めてしまうという危険性も合わせて持っていることに留意が必要である。シンプルな論理は分かりやすいが、「現実」は決して全体像を把握できない複雑なものである。
結論は選ぶもの
何かの企画を立てる際に、分析ばかりずっとやっていて、大量のレポートが作成されるものの、いつまで経っても結論の出せない人をときどき見かけるが、これは、自分の意志なしに仮説検証を繰り返していることの例である
断片的な事実から、漠然とした「主張の仮説」が設定され、それが事実によって検証されなかったことで、さらに仮説の意味に変更が加えられ、その事実が検証されていくというのが、健全なプロセスである。つまり、仮説検証とは、数学の問題を解くように証明することではなく、それを通して仮説を意味づけしていくプロセスなのである。
筆者はここにロジカルシンキングの最も重要な意義があると考えている。ロジカルシンキングは主張に意味づけを行う。
価値観は選択の基準
変化の激しい環境の中では、自分が「何をやりたいか」「どうなりたいか」という信念をしっかり持っていなければ、自分が望む未来が保t脳に実現することは絶対にないと言ってよい。変わらない自分(=内発的価値観)を軸にしない限り、選択基準は必ずぶれてしまうからである
「やりたい」と思っていることが、実は自分以外のどこから「やるべき」と要求されているものであることに気づかない、ということは稀なことではない。むしろ、会社生活にエネルギーの大部分を注いでいる人のほとんどが、「やるべきこと」を自分の「やりたいこと」と勘違いしている可能性すらある。価値観のように形もなく、目にも見えないものの発生源が、自分の内(内発的)なのか、外(外発的)なのかは、日常の生活の中では意識されないだろう。
その人ならではのオリジナリティを発揮した選択が行われることは、ただ望ましいだけではなく、必須条件と言える。しかし、自分の価値観に従って選択を行うことは、責任感と勇気のいることである。その選択が正しい選択であるが、そうでないかを選択の時点で判定するための拠り所がないからだ。実は外発的価値観に従っている方が気楽なのである。
外発的価値観に翻弄されないためには、自分の内発的価値観を理解し、それに基づく信念や心情をしっかり持つことが不可欠である。そのうえで、自らの主張や行動を選択する方法を身につける必要がある。
成長とは何か
身につけたことを実際に活用して、誰かの役に立って、はじめて周囲は人の成長を確認できる。性y等したかどうかを最初に判断するのは、自分ではなく周囲の他者なのである。また、周囲から成長した見られていることが感じられて、はじめて自分自身の成長時間を得られるものだ。誰からも見られていない状況で、自分の成長が確認できることはない
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論理思考なしに意思決定はできない。しかし、論理思考だけで意思決定はできない。つまり、ビジネスの場面において、何かの結論を出すプロセスには、論理と非論理が必ず混在しているし、また、そうあるべきなのである
著者はコンサルティング会社に就職し、ロジカルシンキングを現場で実践し続けてきた。そのため、ロジカルシンキングの重要性は肌身に染みて理解しているつもりであるが、他方でその偽りの部分も実感している。本書では、後者に焦点を当てて解説している。