読書ノート

女王エリザベス 上

エリザベス誕生

ヘンリー8世の2番目の妻であるアン・ブーリンは妊娠した。“アン・ブーリンの腹の子は男児である”と医師や占星術士、魔法使い、魔女などは証言した。当のアン・ブーリンは、最初自分が思っていた通りの素晴らしい女性であり、アン・ブーリンへの思いは依然として深く、アン・ブーリンは教皇と争うに値するだけの女性だと、ヘンリー8世は自らに言い聞かせているようだと、外国からの使者たちの目にはうつった。

1533年9月7日(日)の午後3時過ぎ、健康で五体満足な子供が生まれた。宮廷人たちの待ち受ける部屋に伝令官が入り、お待ちかねの宣言をした。「王妃がご出産されました。王女様でございます……」

ヘンリー8世は、苦い心の失望をなんとか取り繕った。大かがり火を焚き、教会の鐘を打ち鳴らして誕生を祝うように命令が下された。教会では感謝の祈りが捧げられ、宮廷の祝宴も予定された。子供は王位を継ぐ者にふさわしく豪華絢爛な洗礼の儀式で、“エリザベス”と命名されることになった。

エリザベスが生まれた時、腹違いの姉のメアリーは18歳だった。メアリーは主人の立場を追われ、内親王エリザベスの家のほんのささやかな片隅で住むことを余儀なくされた。しかもメアリーはエリザベスの女官という地位におとしめられ、エリザベスのことを“世継の君”の称号で呼べとまで言われた。今でもそれは自分の称号だとメアリーは思っている。だから、このような屈辱をおとなしく忍ぶメアリーではなかった。メアリーはアン・ブーリンのことを父王の妾と呼んでいた。そうして、自分の母が生きているか限りアン・ブーリンがイングランド王妃などとはどうあっても認められないし、神様とお母様の信念を固く信じていれば、どんな逆境にあっても耐えられるますわ、と覚悟の程を語っていた。メアリーは腹違いの妹と同じテーブルについて食事を取ることを拒んだ。また、抱かれてハットフィールドの館の庭を散歩する妹に付き添うことも断った。

エリザベスが1歳の誕生日を迎える前に、母のアン・ブーリンは再び妊娠した。しかし、赤ん坊が出てることはなかった。流産だったのかもしれない。あるいは、妊娠などしていなかったのかもしれない。確かなことは誰にも分からないが、誰にでも分かることが1つあった。それは安の時代がもう終わりを告げてしまった、ということである。かつて味方だった者たちが、落ち目になった自分をどんどん見捨てていくし、外国の使節のレン中も次々とアン・ブーリンに背を向けた。

アン・ブーリンは、その後再び妊娠したが、結局、アン・ブーリンは子供を流産した。「3ヶ月半ほどの男子のように見える」と産婆たちは言った。これでアン・ブーリンの王妃としての人生も終わりだ、と皆が思った。そうして追討ちををかけるように悪い噂が広まった。死んだ子供は奇形児だった、これはアン・ブーリンが罪にまみれて生きている証拠で、神が二人の結婚を不快にみそなわしている証だ、とヘンリー8世は解釈なさっている、というのである。

エリザベスの幼少期

母親が処刑された時、エリザベスは2歳と8ヶ月だった。この時、エリザベスは、時として母親ゆずりの癇癪を破裂させたりすることもあったが、普段はお行儀の良い、素直な子供であった。

エリザベスの家は気まぐれに移った。ウインザーからエンフィールド、リッチモンドからグリニッジ、ハットフィールドからエルサレム、ハンズドンからハートフォードもしくはリクマンズワース、アシュリッジからハヴァリングへといった具合であったが、エリザベスはこれにすっかり満足していた。教育を受け持っていたブライアンは有能かつ親切な女性で、母のいないエリザベスにはとにかく厳しく感じられる現実の波から、できるかぎりかばってやろうと努めた。

ヘンリー8世は神学論争が好きだったが、エリザベスにはそのような趣味はなかった。また、明らかにエリザベスは生まれながらに学問への適性があり、勉強を教えられるのが楽しくてたまらない、という風であった。

親切な先生の指導の元で、エリザベスは数学、地理・歴史、裁縫、ダンス、行事作法、乗馬を学んだ。建築の初歩と、天文学の基礎も教えられた。それに習った外国語は、フランス語、イタリア語、スペイン語、フランドル語と多彩であった。おまけにエリザベスはウェールズ語まで多少は知っていた。しかし、エリザベスの教育で最も力を入れたのはラテン語とギリシア語であった。

14歳になるとエリザベスは流暢なフランス語が話せるようになった。また、イタリア語も流暢であった。そしてこのことはエリザベスにとって先々大いに役に立った。当時の西欧世界はラテン語に代わってイタリア語が国際外交の通用語として台頭しつつあったからである。しかし、そのラテン語自体にエリザベスにお手の物であった。

女王メアリーの妹時代

エドワード・コートニーというエリザベスと仲の良い人がいた。コートニーとエリザベスは結婚の噂が流れるほどの仲だった。エリザベス本人にとってもコートニーとの結婚は悪くない、という考えであった。後年になって、エリザベスはコートニーを愛しており、コートニーの妻になれなかった失望こそが、生涯他の誰の妻になることを頑として拒んだ理由だ、という囁く宮廷官僚さえいた。ところが肝心のコートニーにエリザベスの夫になりたい、という気持ちはなかった。

エリザベスがハートフォードにいる間に、かねてから予想されていた反乱の火の手がケントで上がった。予定では広く各地で燃え上がるはずだった。しかし、この企みは政府の聞き及ぶところとなり、ケント以外では未遂に終わった。ケントの蜂起を導いたのは、アン・ブーリンの恋人であったトマス・ワイアットの息子であった。

ワイアットは反抗するが、テンプル・バー付近で降伏し、ロンドン塔へ収監された。

エリザベスは反乱をそそのかしたりはしなかったが、反乱自体を知っていたいため、怯えていた。尋問でエリザベスは、ワイアットとはいかなる関係もない、とはっきりと言い切った。そして避難されるべきことは一切していないという主張を、断固として押し通した。エリザベスはメアリー女王との面会を何度か要求したが拒否された。エリザベスには、ロンドン塔に連れて行こう、という決定が下った。

連行される前に、姉(メアリー女王)に手紙を書くことを許してほしいと懇願した。手紙の許可は下り、「反逆者ワイアットについては、ワイアットは私に書簡を送ったかもしれないが、私は受けてっていない」、と身の潔白を書いた。手紙を受け取ったメアリーは、手紙の内容が長文だったので怒り、エリザベスの懇願は通らなかった。こうしてエリザベスは侍女たちと共にロンドン塔に監禁された。

エリザベスは2ヶ月間ロンドン塔に留め置かれた。披露がたまる上に健康も優れなかった。それに何より、たえず目の前に処刑台の恐怖がちらついている。これは文字通りの話であった。つまり、散歩に出れば目にしないわけには行かないのである。エリザベスは、あまりに絶望的な気分となり、斧で首を斬られるのではなく、母親と同じように剣による処刑をメアリーに願い出ようと、そればかり考えるようになった。

ワイアットは、4月1日に処刑された。エリザベスのことを白状させようとして拷問されたが、白状することはなく、それどころか処刑台の上からエリザベスとコートニーの潔白を明かす大演説まで行った。

コートニーは国外追放となり、翌年になって突然パドヴァで客死した。

5月19日、鎧と青いお仕着に身を包んだ一群がロンドン塔に到着したと聞かされると、エリザベスは自分の処刑に立ち会うために来たのだと思い込んでしまった。ところが案に相違して、エリザベスはもっと快適な場所に護送されるのだと聞かされた。エリザベスはオックスフォード近郊の王領に連れられ、サー・ヘンリー・べディングフィールドの手に委ねられた。

ベディングフィールドとオックスフォードの州長官セイムのウィリアムズ卿の2人はエリザベスをロンドン塔から出し、船でリッチモンドまで連れて行った。

その後エリザベスは、満たされぬ気持ちと内心の不安ためにエリザベスは再び病気になった。顔が膨れ上がり、涙にくれることも度々あった。そしてエリザベスは瀉血療法をしてほしい、医師を読んでほしいと頼んだ。医師たちはエリザベスの腕から、次に足から血液を抜いた。この後エリザベスの溶体はやや回復したが、期限は一向に良くならなかった。

メアリーの結婚

フェリペが27歳、メアリーが38歳のときに二人は出会った。小柄で細く、奇異なほど低音の声でしゃべるメアリーは、極端な近視で、年齢よりはよほど老けて見えた。フェリペ王のある従者はメアリーには眉がないことに気づいた。また別のものはほとんど歯が残っていないことに気づいた。さらに「美人ではなく、小柄で、太っていはいないが、たるんでだぶだぶだ」と言ってのけた者もいた。

どちらにとっても政略結婚であることに違いないが、フェリペの側からはいつまでも如才なくも淡い交わりに過ぎなかったのに比して、愛情に飢えていたメアリーの方はフェリペはもちろんのこと、フェリペが約束し、象徴する全て――メアリーの母が生まれた王家、やがて生まれるはずのローマ・カトリックの世継、ローマとの和解――にぞっこん惚れ込んでしまった。

フェリペがスペインに帰ろうと計画していた時、メアリーは病に伏した。フェリペはメアリーに告げた。「もうこれ以上は待っていられない。面倒を見なければならない国はイギリスだけではない。8月の終わりまでには行かなければならないのだ」と。愛に溺れたメアリーの耳には入らなかったのか、それとも彼女自ら耳に入れまいとしたのか、体が不調だったにも関わらず、メアリーはどうしても一緒にダートフォードまで行くと言って聞かなかった。

フェリペが去る前にメアリーは説得されて、妹に会うこととなった。この前の時から既に1年以上が経過していた。女王の私室に入ったエリザベスは、非の打ち所のない恭順な態度であった。寝室の女王の前にひざまずき、「私は今の今まで変わることなく忠実な臣下でした」と涙ながらに訴えた。

フェリペがいなくなると、メアリーはエリザベスは好意をかけてやった。これはフェリペがそうするように助言したからである。妻の健康が優れないとみるや、フェリペは既に将来を見つめていた。近い将来、義理の妹がこの国の女王になるだろう。そしてこの国の援助が、フランスに対抗するためには是非とも必要なのだ。フェリペの助言に従うかたちで、メアリーはエリザベスの束縛を緩め、さらに監視人としてサー・トマス・ポープを任命することにした。

10月。エリザベスはハットフィールドの自分の屋敷に戻る許可を願い出た。許可はおり、メアリーがエリザベスに別れを告げて、いつものように別れのプレゼントをしてくれた。ハットフィールドでの生活は、宮廷によりさらに束縛が少なかった。

ハットフィールドにはプロテスタント信者の火刑の報が、たえず寄せられた。その中には若者も老人も含まれていたが、多くは貧しく、無名の人々であった。こうした処刑に講義する声は次第に高くなりつつあり、資材の判決が下った者を支援するデモが度々行われるようになった。「スペイン人が悪いのだ。エリザベスが女王になれば良い時代になる」というつぶやきがあちことで聞かれるようになった。フランスに逃れたプロテスタントの一党が、自分たちの手で次の時代を引き寄せようとする陰謀を企んだ。コートニーと似た容姿の若者を支援する連中が、エリザベスのことを女王、そして彼女が「床を共にする愛人コートニー卿のことを王」と宣言した。このコートニーの偽物を担ぎ上げた者たちは間もなく検挙され、メアリー暗殺計画はことなきをえた。今回の陰謀には一切関係がないというエリザベスの釈明は、枢密院によって受け入れられた。

そんな中、メアリーは病に倒れた。最後の最後になってメアリーは、多数の“異端者”が炎の中で命を奪われていたにも関わらず、何としてもローマ・カトリックを保持するよう全力を傾けてほしい、というメッセージをエリザベスに送ってきた。メアリーは1558年11月17日の7時に死んだ。

11月17日の朝、サー・ニコラス・スロックモートンがセント・ジェイムズ宮からハットフィールドへと駆けつけた。女王の指輪を携えていた。エリザベスは、その時樫の樹の根本に座ってギリシア語の聖書を読んでいた。王位の継承を告げられたエリザベスは、芝生の上に膝を付き、賛美歌の118番から次の一節をラテン語で引用した。「そは神の行われしこと。凡愚の目には奇跡とうつらん」

翻訳がGoogle翻訳にコピペして、その結果を貼り付けた感じの日本語になっている...。読むのが辛かった...。

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